幕末の会津藩・怒涛の悲劇の本幕が、いよいよ切って落とされた。
将来を嘱望された若き逸材、神保修理の切腹だ。
修理が将軍に進言した内容は、
「いったん兵を引き、恭順の意を示してから、江戸にて善後策を練る」
だったのに対し、将軍・慶喜が取った行動は、
「兵を置き去りにして、内密のうちに、
将軍・京都守護職・京都所司代の三名のみが、江戸へ脱出し、
江戸にて恭順する」
その責任を負わされるというのは、
現代人には理解できないかも知れないが、
修理は、後に残る人々に、、
誰も恨まないで、日本の行く末のために全力を尽くしてくれるよう遺言し、
従容と、死に就く。
修理の自刃によって、
慶喜や容保に向かいかねなかった、兵たちの憤怒は、消える。